2008年02月06日 15:34
世界サキモノ史
~3.シャンパーニュ・メッセ (中篇)
[先物]>
[世界サキモノ史]
:世界の先物の歴史を探るコーナーだよ!
:今回は、シャンパーニュの大市(メッセ)からだよ。
ヨーロッパの北と南、そして内陸部の3つの経済圏の「繋ぎ目」、ここにシャンパーニュ・メッセは誕生したんだったね。
:うんうん。
:この地は当初、シャンパーニュ・ブリー伯の領地で、地理的・政治的にもっとも中立的で、安定していたので、各地から大勢の商人があつまり、12世紀後半から14世紀初頭にかけて栄えました。
:ほーう。
:シャンパーニュが衰退していくのは、1286年にシャンパーニュがフランス王領に合併されてから。フランス国王が、大市(メッセ)の商人たちに販売税と屋台の賃貸料の引き上げを迫ったことにより、商人たちは離散してしまったの。
:販売するためにかかる税金・・・屋台の賃貸料も値上がりしたら商売で儲かっても利益が少なくなっちゃうもんね(×_×)
:だよね。こうした状況のもとで、フランドル伯とフランス国王が戦争(1302~1320年)を始め、この戦争が終わると、今度は豊かなフランドル地方をめぐってイギリスとフランスの百年戦争(1337年~1453年)が勃発して、シャンパーニュは見る影も無く荒廃してしまったそうよ。
:あゎゎ・・・・。せっかく栄えた大市なのにねー!
:でもね、ここで重要なのは、シャンパーニュ・メッセがフランス国王の横暴や戦火で衰退していったことも残念だけど、すでに1世紀あまりにわたる大市の開設で、商人たちがお互いに顔見知りになって、信頼関係ができ、さらには南と北という2つの経済圏の商人たちが、直接行き来できる海路で交易できるルートを開発したこと!
:ほかの地への「道」ができたわけだね!
:そう! このことがシャンパーニュ・メッセの仲介市場としての必要性を希薄にして、他地域への市場の移転を可能にしてしまったというわけなのよね。
:なるほど~。
:各国の商人の交流・交易はいっそう活発化して、イタリア商人は直接ドイツやフランドルに出向き、ドイツ商人は直接イタリアへ出かけて取引を行いました。
:それまでの閉ざされた状態よりも便利になったんだね。
:こうして、シャンパーニュ・メッセの時代は終わり、次に台頭してくるのが北欧のフランドル(今のベルギー)の首都ブリュージュや南フランスのシャロン、ドイツのフランクフルト・アム・マイン、ケルンなどで、なかでもブリュージュはすでにフランドル一帯の毛織物工業の中心市場として、またハンザ同盟(旅商人の組合)の中心的都市として群を抜いていたから、立地条件も含め、ブリュージュがシャンパーニュを引き継いでいくよ。
:ふむふむ。
:さて、ここらへんで続きは次回!
:はーい!!
≪参考地図≫

シャンパーニュ・メッセ(前編)シャンパーニュ・メッセ (後篇)
【参考文献は木原大輔氏の入門の金融 商品先物取引のしくみ―見る・読む・わかる (入門の金融)
他】

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02/06 15:34
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