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2008年10月21日 11:17
大恐慌時の米国の実体経済 (如空)[V作戦]> [如空]
テレビを眺めていると、今回の金融危機がニュースやワイドショーで取り上げられている。そこでは、「大恐慌以来の危機」といったセンセーショナルな論調が多いように感じる。楽観は禁物だが、雰囲気に流され、惑わされるのも良くない。そこで今回は当時のマクロ経済統計をいくつか見てみる。大恐慌の理解、冷静な投資判断の助けになれば幸いに思う。80年も前のことなので統計の入手が困難で、統計の期間もバラバラだ。予めご了解いただきたい。 ■経済成長率 GDP成長率は1929年以前の統計が見当らないため、1930年以降を掲載した。GDPの伸び率と主要項目の推移は下図、下表のとおり。現在、米国経済は2四半期連続でマイナス成長になりそうだと言われているが、当時は4年連続マイナス成長だった。1929年と比較すると、設備投資は4年間で7割減、住宅投資は77%減になったことになる。すさまじい景気後退だったことが分かる。
主要項目の推移(%)(出所:商務省)
下図は財政支出の対GNP比率を見たものだ。大恐慌時に財政が経済を下支えし、不況克服に重要な役割を果たしたことが分かる。
参考に、実質GNP(国民総生産)成長率のグラフも掲載しておく。
■金利 次に金利の動きを見てみる。大恐慌期には実質金利はマイナスだった。FRBが積極的な金融緩和政策をとったことが窺える。FRBは、1929年秋のNYダウ暴落直後に公定歩合を6.0%から5.0%に引下げ、31年までに計8回、1.5%まで引下げた。その後一旦金利引上げを実施し、公定歩合は33年には3.5%となるが、その後再度引下げ、37年には1.0%まで引下げた。これが1990年代に日本銀行が公定歩合を0.5%に引下げるまで、長きに渡って史上最低の公定歩合となった。 当時、米国の公定歩合は、第2次世界大戦終結後の1948年に1.25%に引上げるまで11年間も1%の低水準が続いた。不況に対するFRBの断固とした態度が窺える。日本の場合、バブル崩壊後の不況克服のために量的緩和を導入したが、その解除が早すぎたという批判は今でも耳にする。また、今回も国際協調利下げに日本が参加しなかったことに対し、疑問の声も聞かれる。なるほど、大恐慌克服過程でのFRBの金融政策を見ると、不況からの脱出はそうたやすいものではないな、という気もしてくる。
■生産 次に、鉱工業生産。先週16日に発表された9月の米国鉱工業生産指数(2002年=100、季節調整済値)が8月に比べ2.8%低下したことが大きく報じられた。当時は1929年7月の8.9(2002年=100)から1932年7月の4.1まで、3年間で半分になってしまった。やはり今と比べようもない凄まじさだ。
■失業率 次に、失業率。1929年に3.2%だった米失業率は33年の24.9%まで一気に上昇した。大恐慌を語る際に「街には失業者があふれ…」といった解説がされるが、それを裏付ける数字になっている。ちなみに直近の米国失業率は6.1%。当時とは比べようもない低水準だ。
■物価 次に物価動向。下図を見ると、大恐慌期は強烈なデフレだったことが分かる。日本の「失われた15年」のデフレ期でも物価の下落率は2%に達したことはない。これに対し、当時は10%程度の物価下落が2年近くに渡って続いている。さらに1930年代半ばに一旦デフレを克服したかに思われたが、30年代後半には再び物価上昇率がマイナスとなってしまった。この時期(1937年頃)を「恐慌中の恐慌」と言うことがある。何となく今の日本に似ているような気がしないでもない。
■貿易 次に、当時の世界の貿易を見ておこう。当時、米国発の大恐慌が深刻になる中にあっても、欧米各国は自国の利益を優先し、ややもすると保護主義が幅を利かせる状況だった。当時は米国がまだ「新興国」で、世界のリーダーとしての自覚がなかったことも一因だとされている。その中でも何とか先進国間の協調体制を構築しようと、1933年6月には世界経済会議が開かれたが、結局会議は決裂。混乱に拍車をかける結果となった。 今回の金融不安では、G8が緊急声明を発表し、11月には金融サミット開催が決まったようで、今のところ先進各国の足並みは揃っているようだ。大恐慌当時の様子を探るほどに、国際協調の大切さを強く感じる。
■企業収益 下図は1928年98社、29~31年104社、32~33年103社の利益を合計したものだ。32年から33年にかけては赤字となっている。企業収益のボトムは32年第4四半期で、その後はやや回復する。
■株価 最後に株価を見てみる。大恐慌前のNYダウの高値は1929年9月3日の381.2。9月24日の「暗黒の木曜日」を経て、11月13日には198.7まで急落する。2カ月と10日でダウは48%の下落となった。その後30年4月17日まで戻り相場となるが、結局、実体経済の悪化(大恐慌)を映し、NYダウは1933年7月8日の41.2まで下落。1929年の高値の1割強の水準まで下げてようやく底を打つことになる。 株価の推移(下図)と企業収益の推移(上図)を見比べると、非常によく似た動きをしている。企業収益のボトムは32年第4四半期。株価の大底は32年7月。これは今回の株価暴落にも大変示唆的なことだ。来年前半までに企業収益がボトムを打つならば、株価はすでに底を打った可能性もあると言えよう。結局、大恐慌でも金融危機においても、株価は企業収益次第ということかもしれない。
以上、大恐慌時の米国の実体経済を極めて大雑把に見てみた。現在と照らし合わせると、不況の度合いがまるで違うが、参考になる点も多々ある。最後に当時のマクロ指標を眺めていて感じたことを3点ほど書いておく。 ・不況克服は金融政策のみでも財政政策のみでも不十分であり、車の両輪として作用することが必要。 ・不況克服には、中途半端な政策は禁物だ。FRBは1931年に1.5%まで公定歩合を引下げたが、すぐに利上げに走る。これが「恐慌中の恐慌」とも言われる1837年の不況につながっていったとの分析もあるようだ。結局、FRBは1937年から11年間にもわたって公定歩合1%を継続することになる。日銀の量的緩和解除、ゼロ金利解除が中途半端な時期に行われた結果、「失われた15年」を完全に克服することができなかった、とする見方にも一理あるようにも思える。 ・金融危機時には自国の利益にとらわれることは、混乱を助長することになる。金融危機の回避には国際協調という視点が不可欠だ。 (如空)
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